満開の桜といえばお花見!その由来をご存じですか?

満開の桜といえばお花見!その由来をご存じですか?
春といえば桜、桜といえばお花見、といった連想をする日本人は多くいます。
ですが日本のように、桜を肴にどんちゃん騒ぎをしながらお花見をする国というのは、とても珍しいそうです。
というよりも、ほぼ日本人だけなのだとか。
今回はそんなお花見の歴史をちょっとだけ調べてみたので、皆さんにも紹介しますね。

お花見の起源は貴族の行事と民間信仰から

今のスタイルのお花見は、昔の上流階級と民間でそれぞれにあった、二つの習わしが合わさったという説があります。

1.奈良時代の花宴


奈良時代(710-794)から平安時代(794-1185)の貴族たちが催していた、「花宴(はなのえん)」が元になったという説が一つ目の習わしとされています。
花宴とは、中国の唐王朝から伝わった文化で、お花見をしながら歌を詠むというものです。
今の一般的なお花見とは、だいぶ方向性が違う感じです。
当初はお花見の花といえば「梅」のことを指していて、その後時代が経つにつれて「桜」へ移り変わっていきます。
宮中の恒例行事とされる831年ごろには、もう桜に主役の座を奪われていたようですね。

2.農民の信仰


農村や山村などでは、もっと古い時代からお花見が行われていたとされています。
昔の農民たちは、稲の成長を司る神様を大切にし、強い信仰を持っていました。
桜の語源にも諸説ありますが、桜の「さ」は田んぼの神様、「くら」は神様が座る場所という意味があります。
桜が咲くころにはその神様が到来するとされ、田んぼの神様が桜の木の枝に座り、花が咲くことで田植えの時期を知らせてくれると信じられていたのです。
また、桜の花の咲き具合で、その年の収穫を占うものとしても使われていてました。
桜の木の下で田んぼの神様をお迎えし、お酒やお料理でおもてなしをするというのが、二つ目の習わしで、こちらはわりと今の宴会型に近いですね。。

8代将軍徳川吉宗の政策が今のお花見スタイルの大元!

江戸時代(1603-1868)に入ると、3代将軍の徳川家光(1604-1651)の頃から、桜の植樹が進められるようになります。
それでも、今のようにたくさんの桜を植えるのではなく、数本の木をじっくりと鑑賞するスタイルでした。
これが8代将軍の徳川吉宗(1684-1751)の政策によって、一気に大量の桜があちこちに植えられていきます。
これ以降、今のようなお花見スタイルが一般庶民の間でも定着していったそうです。

これには目的が二つあり、一つは行楽地を作って遊ばせることで、庶民たちの不満を解消しガス抜きをさせるというもの。
江戸の中心部からは少し離れた場所に植えることで、1日がかりのピクニックにもなり大層楽しまれたそうです。
庶民の消費も上がって経済効果も上がったのだとか。

もう一つは、護岸工事の一環です。
河川の氾濫を押し留めるために堤防を作る際、お花見客を呼び寄せることで踏み固めさせました。
代表的なのが隅田川の墨堤で、実際にこの策は成功、当時からお花見客で大変賑わったそうです。

いまでも桜の名所として観光名所であり、毎年桜の開花にあわせて「墨堤さくらまつり」が開催されています。

おわりに

桜の名所として有名な観光地はいくつもあります。
確かに見ごたえもありますが、どうしてもお花見客でごった返してしまいがちです。
開花の時期でないと気づきにくいですが、大きな公園や堤防以外にも沢山の桜が植えられているところは結構あります。
大勢でワイワイ楽しむのもいいものですが、たまには自分だけのお花見スポットを探してみませんか?

Posted by S&S